2013年5月4日

居場所について

中村さんに関するドキュメンタリーを見た時、私にとって一番心に残ったことは(ほとんど)受け入れられるところを探すためにオランダまで行かなければならなかったということでした。日本には自分のアイデンティティについて寛容な家族と友達がいながらも、居場所は日本ではないと中村さんが思っていることは残念だと思います。(もちろん、中村さんは幸せのようだということはいいですが、一般に、周囲の人から寛容してもらわないという経験は残念だという意見です。)

私はアゲハ店のウェブサイトを読んだ時、フレンドリー過ぎると感じて、少し変だと思ってしまいました。でも、その少し後で中村さんの経験を思い出して、私のアゲハ店に対する意見を考え直しました。このバーが何度も「仲間」、「ファミリー」などという言葉を使うことは居場所の雰囲気を作るためではないかと思い始めました。ゲイの人が普通の社会で受け入れられていないのに、この店は同性愛がアイデンティティを表しながら人間関係を築けるところを提供しようとしているようです。具体的な活動が違いますが、プリンストンのLGBT Centerと同じようないい目標を持っていると思います。

誰でも日常生活で出来ることなので、法律のような大規模なことよりも、小規模なことの方が大切だと思います。ですから、周囲の人は異性愛者だという前提を避けたり、同性愛に反対する意見に反対したりすることが出来たら、コミュニティー内、国内でセクシュアル・マイノリティのために居場所のような空間を少しずつ作れるようになると思います。

2013年4月28日

同性愛者と他のマイノリティーの違うところ

私は昌志さんのお母さんからの手紙を読んだ時、ゲイの人を他の社会的なマイノリティー(例:人種的なマイノリティー)と比べることはとても面白いと思いました。同 性愛者は特別な立場にあるマイノリティーだとずっと思いましたから、比べることは意味があることだとは考えられませんでした。どうしてかというと、マイノリティーの悩みもゲイの人の悩みも残念だし、それぞれの悩みは違うので、直接比べることは少し無意味だと思うからです。授 業でこの問題について話し合った時、一番違うところはゲイの人はアイデンティティーを隠せることだと言われました。人種の場合と比べると、それは同性愛のメリットに見えるかもしれません。
 
でも、本当にメリットだと言えるのかという疑問を抱きます。確かに、隠れることが出来たら明確な差別を避けられることはいいところですが、私 の意見では、毎日自分のアイデンティティーの大切な部分について必死に黙らなければならないことは苦しいんじゃないかと思います。もちろん、誰 でも(例:ボスなど)人のセクシュアルアイデンティティーを知る必要はありませんが、大切な人に理解してもらえないことは本当に残念です。 隠れなくてもいい社会の方が理想的だと思います。

2013年4月21日

BL作品における「関係性」

「 男の絆」の筆者がボーイズ・ラブについて書くチャプターの後半で、私が一番面白いと思った点は、や おい漫画のフォーカスはあるキャラクターの魅力というより同性愛者のカップルの関係性だということでした。以 前はこれについて考えたことがありませんでしたが、なるほどこの可能性があると思い始めました。筆者が述べた通り、カ バーのイラストはよく二人のキャラクターで、pixivの経験からペアリングのラベルがとても大切だと分かるようになったからです。
 
でも、この関係性は女性が入れない「男の絆」と同じなんでしょうか。どうしてこの質問をしたかを説明するため、下の例を挙げましょう。授 業のためにpixivBL作品を探しながら小説を読んでみた時、読んだ作品はほとんど「私」という語り手の視点から書かれていました。この傾向は偶然かもしれないと思いますが、このテクニックは女性の作家が「 男の絆」に参加する方法ではないかと思いました。そして、この作品の読者は想像を通してあるキャラクターの立場に入れるので、「私」と いう語り手がない漫画にも当てはまるかもしれません。
 
そして、友達というより同性愛者の間のカップルですから、一般的で美化された「男の絆」と違う「関係性」になると思います。答 えられなかった質問がまだ残っているので、教科書の筆者がこの点をもう少し分析したらよかったと思います。

2013年4月7日

単語の必要

この二つの読み物(「 男の絆」5章と「Gay at Princeton)について考えると、面白い課題が出てくると思います。「 Gay at Princeton」という記事では、イ ンタビューされたゲイの人がよく述べたのは、大学生の時、同性愛に関する単語がなかったということでした。そして、当 てはまる言葉がなかったため、プリンストンでゲイのコミュニティーを探すことは無理でした。もちろん、当時も「同性愛者」という言葉がありましたが、現 在と同じようなコノテーションがなかったか、同じように使われていなかったようです。

一方で、「男の絆」の 内容は逆の問題を描きます。この筆者によると、欧米からの性欲学の影響で、「同性愛」と「異性愛」が 区別されたことは同性愛者にとって悪い結果になってしまったそうです。どうしてかというと、「科学的」な理由で同性愛は「変態性欲」で 病気だと思われているようになってしまったからです。以前の「男色」という言葉より「同性愛」は的確でしたが、新しいコノテーションのせいで、同 時にこの言葉は問題になってしまったようです。Gay at Princeton」という記事では、特別な単語は必要だということが見えます。でも、「 男の絆」では、問題点もあることが見えます。ですから、同性愛などの言葉が必要ですが、コミュニティー内で受け入れられて、定 義された単語を出来るだけ使う方が理想なんじゃないかと思います。

2013年3月30日

「ミツバチの羽音と地球の回転」

この映画を初めて見た時、どうしてスウェーデンの現況が描かれているか少し分かりませんでした。最初と最後の部分は祝島の原子力発電所に反対する運動を中心にしているので、一体どうして35分ぐらいも長い時間スウェーデンのグリーン・エネルギー努力に関するセクションがあるかと思いました。どうして変だと思ったかというと、両方の筋はエネルギーの発電や利用というテーマに関係がありますが、違う国だし、異なる問題があるので、この筋同士の関係があまりないからです。でも、この映画のメッセージとテーマをもう少し考えて、段々分かるようになったように思います。

この映画のフォーカスはエネルギー資源だけではなく、皆は環境のために個人の規模で何ができるかという課題、つまり草の根運動だと思います。スウェーデンのインタビューを受けた人たちは小規模、あるいは個人の規模で環境にとって悪いエネルギーに頼らないようにしたり、自然エネルギーの利用を支えたりしています。それと同じように、祝島の村人一人一人も原発発電所の建設に反対しています。

監督の主なメッセージというのは、日本人がスウェーデン人と同じように原発などに反対するだけではなく、積極的に代替を推進するべきだということです。特に、この映画では、スウェーデンと日本の運動はミツバチの協力的な活動と同じで、小規模で社会と地球に影響を与えられるという意見が表されています。ですから、両方の運動は「ミツバチの羽音と地球の回転」という分かりにくいタイトルによってつながられていると思います。

2013年3月17日

「東京原発」のメッセージ

この映画は笑うところもありながら、大 切なメッセージがあったことはとても好きでした。色々な場面で、こ の映画のキャラクターが自分の行動の結果について全然考えていないことがはっきり見えます。例えば、環境局長は部屋を出た時エアコンを上げたし、 トレーラに付けた「近づかないで」という注意は小さいフォントで書かれたし、子供は最初から特別な予定がなかったようです。もちろん、皮 肉で大げさな例ですが、この状況はかなり現実的なんじゃないかと思います。でも、将来について考えない態度は原発の上で大きい問題です。

この映画のメッセージについて考えれば、私たちが何週間前に読んだ読み物を思い出します。その読み物の著者によると、厳しくない法律のせいで、原 子力発電所は放射能廃棄物の処理や保管がうまく出来ないので、将来大きい問題が出てくる可能性がありますが、そ の状況はこのまま続けているそうです。この映画では放射能廃棄物より原発事故の方を中心にしましたが、将来を考えないという部分は同じだと思います。事故が起こらなくても、将来を考えないと、悪い結果の可能性が上がります。

将来は予測できないので、ある行動の結果について深く考えることはやはり難しいです。それでも、絶対必要です。こ のメッセージは色々な状況に当てはまるので、原発に反対するメッセージより、これはこの映画の一番大切なメッセージだと思います。

2013年2月24日

プロジェクトの説明

私が選んだトピックは北海道のアイヌ民族です。どうしてこの課題に興味があるかというと、単一民族国家だと思われている日本の少数派について学びたいと思ったからです。アイヌ民族の数が少ないですが、文化的、政治的、経済的な問題が多いので、調べ甲斐があると思います。そして、アメリカ人として、アイヌ民族とネイティブアメリカンの現状の類例に興味があります。

簡単に言えば、報告ではこのような課題について書きたいと思います:
・アイヌ民族は誰かという課題(定義、人口、など)
・和人との歴史的な関係
・現在の問題(権利、経済的な状況、など)
・伝統的な文化を守る努力
・観光産業との関係

学外のコミュニティーと連携する方法はまだ決まっていませんが、ジャーナルに報告を提出してみるか、メールでアイヌ民族の文化を守ろうとしている人(例:アイヌ語を教える人、協会のメンバー、など)に質問してみたいと思います。

2013年2月22日

再生可能エネルギーの問題と必要

問題なくエネルギーを発電する方法がもちろんないと思います。いつも経済的な要因も環境的な要因もあるからです。でも、環 境の立場から見ると、原発や化石燃料より再生可能エネルギーの問題はあまり大変じゃありませんから、ク リーンエネルギーを使う方がいいと思います。けれども、再生可能エネルギーの一番大きい問題は実用性です。どうしてかというと、クリーンエネルギーへの転換に関する問題だけではなく、全国でエネルギーの確保に関する問題もあるからです。それなのに、このまま汚くて安全じゃないエネルギーの発電方法に頼り続けられないので、再生可能エネルギーの問題の解決法について考えながら使ってみるべきだと思います。

各地域はそれぞれの自然資源を持っているし、他の地域に再生可能エネルギーを送ることは少し難しいので、皆は自分の自然資源を生かすという目標を目指すべきだと思います。ですから、電気と原発と違って、再生可能エネルギーを使うためにもっと小規模に考え始めなければなりません。最初に価格が高くなるかもしれないし、まだ新しい技術をもっと研究しなければならないし、現状のエネルギー流通制度と違うので、転換するのは確かに難しくなると思いますが、環境を守るために必要だと思います。ですから、各地域は出来るだけ自分の自然資源を生かして化石燃料と原発に頼らないようにした方がいいと思います。今のエネルギーの発電方法を全部使わなくすることを出来ないと思いますが、使わなければ使わないほどいいという立場です。

2013年2月10日

放射性廃棄物の問題

私は高校生の環境科学の授業を受けた前に、電 気と比べると原発が環境にとっていいと習いました。(例えば、空 気汚染が少ないとよく聞きました。)ですから、高 校の授業で原発の様々な問題について学んでびっくりしました。大きい問題なのに、以 前は廃熱や放射性廃棄物の問題について全然知らなかったからです。ですから、この筆者が原発の環境に対する悪い影響をよく説明してくれたので、私 は嬉しかったです。

初めて読んだ時、「トイレなきマンション」という比喩は少し変だと思いましたが、ト イレと同じように廃棄物を捨てる方法が必要だということは常識なんじゃないかと思い始めました。筆者によると、放 射能の廃棄物は法律の立場から見ると特別な物なので、処理法は厳しく規制されていませんが、この状況は筋が通らないと思います。

特に、放射能のゴミをドラム缶に保管することは現在の私達の問題だけではなく、将来の問題にもなるので、私 達は放射能のゴミを捨てる責任を取るべきだと思います。原発の工場が建設される前に効果的な処理法が作られていたら理想的な状況でしたが、今 までそのような処理法がないので、こ れからもっと研究しなければならないと思います。( クリーンエネルギーの研究を支える方が大切だという意見もありますが、原発の色々な問題は今すぐ解決しなければならないと思います。)

2012年12月16日

中国と「東京ラブストリー」

授業の最後の読み物は「東京ラブストリー」という大人気のドラマがどのように中国で広がってきたか分析しました。この記事を書いた筆者は海賊版とテクノロジーの影響と中国の社会的な展開などのように様々なテーマについて書きました。私は中国の歴史と近代的な文化についてあまり知らないので、この記事の一番面白いところは「東京ラブストリー」がどのように中国人の若者の欲しがっている生活を反映して、将来の夢にも影響したかという課題だと思いました。


中国語の字幕がある「東京ラブストリー」

筆者によると、中国で私営企業が広がって経済が強くなった中で、以前より豊かになった人(特に大学生)が「東京ラブストリー」をゆとりがある生活のお手本として受け入れたそうです。つまり、1950年代からのアメリカと同じように、この中国人の消費化に対して価値観や恋愛習慣がテレビ番組の影響で変わったわけです。実はこの一つのドラマだけがこんなに具体的な影響があったという意見に対して疑問を抱きますが、中国人の中でもう少し贅沢な生活を目指すという傾向をはっきり反映していると思います。

異文化のドラマが本当にある社会に深く影響が与えらえるのでしょうか。私はそう信じませんでしたが、この「東京ラブストリー」の例について学びましたから、アメリカのハリウッドが輸出している文化は海外でどのような影響があるかという質問について考え始めました。同じような影響ですか。そして、そうなら、映画やテレビ番組の作者がどのような文化を輸出していますか。面白い課題だと思います。

2012年12月13日

「手紙」と差別

今週は授業で「手紙」を見ました。刑務所にいるお兄さんが六年間弟さんに手紙を書くという内容の映画を見ると、映画で描かれた犯罪者に対する差別について考え始めました。「手紙」では、直貴という弟さんが何も悪いことをしなくても、お兄さんの罪のせいで様々な差別を経験してしまいます。

この映画の差別の悪さに対して意見を言うのは簡単かもしれませんが、この課題はもちろんそんなに単純じゃないと思います。(でも、「手紙」の作家が差別を単純化したくないと思います。)どうしてかというと、差別は倫理的な反応だからです。犯罪者の家族は犯罪者だというわけじゃありませんが、心理学によると、同じ家族から来て同じ環境に影響された子供は似ている大人になる可能性が高いです。ですから、犯罪者の兄弟と会う時、どのような人かよく分からなかったら、自分を守るためにその兄弟を判断することが分かりやすい反応なんじゃないかと思います。

けれども、そう言っても、差別は差別だと思います。特に、映画で起こったように根拠なしで仕事を辞めさせたり関係を捨てたりするほど誰かを差別することは絶対だめです。信頼が出来ない理由がなかったら、他の人を信頼してみた方がいいと思います。特に、誰かが信頼されたら、いい人になりたくなる可能性が強いと信じます。
判断することは容易で、信頼することは難しいです。でも、難しくても、いい社会を作るために必要だと思います。

2012年12月6日

デスノートと自分の成長

最近デスノートをもう一度見ました。初めて見たのは約五年前の高校生の時でしたから、アニメに対して意見が変わるかもしれないと思いましたが、実は始めて見た時と同じでした。今回も一番面白いテーマは正義という課題だと思いました。

「僕は正義だ」と思っていて神様になりたい月(ライト)という主人公
  実は、私はどうしてこんなに暗い話が大好きかというと、どの課題が出てくることによって、私の価値観が変えられたからです。子供の時、私はと同じで、犯罪者を厳しく判断して、誰かが殺人をしたら(死刑を通して)殺された方がいいという立場でした。でも、このアニメのおかげで、そのような単純で厳しい判断を問題視し始めました。(アニメを見たことがなくても、成長と共に私の考え方がいつか変わったと思いますが、事実はデスノートがその変わりのきっかけだったのです。)誰が人を判断するべきか、正義は何のための正義かという問題などを自分自身に問い始めました。の欲しがっている優しい人のための新世界はいい目標かもしれませんが、犯罪者を殺すのはいい方法だというわけじゃないと思うようになりました。

私の個人的な価値観が授業で何冊も読んだ影響力のありそうな作品よりこのアニメに影響されたということはとても面白いと思います。(それがいいか悪いか分かりませんが…)けれども、デスノートは私に色々な深いテーマについて考えさせてくれたので、すごく気に入りました。

2012年12月2日

ゲームのローカライゼーション

先週はとっくにローカライゼーションというテーマについて書きましたが、今日ももう一つの例を検討したいと思います。先週はアニメのローカライゼーションを中心にしましたが、今はもう少しアメリカで成功したメディアを選びたいです。このメディアはビデオゲームです。

どうしてゲームを選んだかというと、アニメや漫画と違って、日本からの影響がとても強い中で、アメリカの独自の産業も強いからです。暴力のために時々批判されているので、ゲームはアメリカでまだ主流メディアじゃありませんが、特に男の子の中で人気が増えつつあります。ゲーム雑誌やキャラクター商品(服さえ)などの有無を通して、ゲームが若者の文化に深く入ってきたことが分かります。

どうしてゲームの方がアニメよりローカライゼーションが成功したかというと、アメリカにゲーム業界があるからこそだと思います。特に大人の間でマイクロソフトがアメリカで視聴できるように作られたゲームの方が日本型のより人気があるようです。でも、ゲーマーの始めのゲームはたいてい日本から輸入されたものです。従って、今でさえマリオ、ゼルダ、ポケモンなどは大人気で、こんなキャラクターがある商品だけが出回ったことがあります。このキャラクターが子供の時から馴染みのあるという理由で、もう少し親密感を持っています。



1980年代から今までマリオがアメリカの文化の一環になりました。

この理由があるからこそ、ゲームはアニメよりローカライゼーションすることが成功できたと思います。アメリカでは輸入された物も独自の物も人気があるからです。

2012年11月29日

新しい絵をアップしました

最近はpixivで新しい絵をアップして、いつものようにグループでフィードバックを頼みました。そして、pixivの面白い機能をとうとうしてみました。誰かがアドバイスが欲しいと言ったら、誰でもコメントする同時に描き直された絵もポストが出来るという機能です。私がこのように誰かの絵を描き直して、楽しいと思って、独自の絵の芸術者が感謝したようなので、いい実験だったと思います。

2012年11月26日

アメリカでアニメのローカライゼーション

日本のポップカルチャー(特に漫画とアニメ)が世界中で広がっていく中で、二つの現象が同時に起こっています。日本のポップカルチャーが外へ行く現象(つまりグロバライゼーション)だけではなく、各国に受け入れられる現象(言わばローカライゼーション)もあります。両方はとても大切ですが、ローカライゼーションの現象の方が面白いと思います。

でも、受け入れられるというのは具体的にどううことなのでしょうか。例えば、アメリカでアニメがローカライゼーションされたと述べたかったら、どのような根拠がありますか。一番分かりやすいのはアニメを中心にするサイトとコミュニティーでいっぱいのインターネットだと思います。イラストコミュニティーにもアニメのスタイルで描く若者が非常に多いです。一方で、最近は普通の店でも人気があるアニメのDVDを買えるようになりました。

そうは言っても、そんな根拠は大体ファンコミュニティー内のことだけなので、アニメが本当にローカライゼーションされたと言うのに十分ですか。アメリカでは、アニメはまだ人気がなくて、普通の人にとって子供以外の人が見るのは変だと思われています。でも、この状況が変わりつつあると思います。どうしてかというと、子供と若者のために作った物と作品はだんだんアニメのようなイメージを使うからです。とてもいい例は大人気の「Avatar: The Last Airbender」(日本語:「アバター 伝説の少年アン」)と「The Legend of Korra」という番組だと思います。

Avatar: The Last Airbender
The Legend of Korra
この番組はアメリカの視聴者のために作られましたが、東アジアの文化に影響されているし、アニメに似ているので、この番組はアメリカのメディアでよく「cartoon」ではなく「アニメ」と呼ばれています。日本のアニメを輸入することだけではなく、独自のアニメが(少し)主流メディアに現れたからこそ、ローカライゼーションという過程が成功すると言えると思います。

2012年11月21日

国際会議の言語

今週はリービ・ひでおが翻訳について書いた記事を読みました。私にとって一番面白いところはリービの国際比較文学の世界大会での経験だと思います。手っ取り早くまとめれば、リービは母語として英語を話しても、日本語でスピーチするように頼まれたのです。でも、それはどうして特に面白いかというと、たいていはこの会議で英語とフランス語しか話されていないからです。この経験を通して、リービは「中心」の英語(あるいは特権の西洋語)と「周辺」になってしまった日本語(あるいは西洋語以外全部の言語)を分けたかったのです。

リービによると、これは問題です。というのは、国際会議である言語を中心としたら、その言語(それに加えその文化)の価値の方が高いというメッセージを伝えるからです。私はこの意見に賛成なので、一理あると思いますが、実践的に考えれば、現状の方が分かりやすいんじゃないかと思います。この会議のスポンサーは国際的な組織だし、皆は異なる言語を話せるので、共有出来る言語がやはり必要です。英語とフランス語は母語でも外国語でも世界中で広がっているからこそ選ばれました。(スペイン語などのように他の選択があると思いますが…)残念ながら、仕方がないと思います。

でも、実は「国際会議」と聞いて、すぐに近代オリンピックと比べたくなりました。近代オリンピックはリービが参加した会議と同じで、公用語は英語とフランス語です。でも、もう一つの公用語があって、開催国の言語です。この状況は一番いい解決だと思います。というのは、実践的な言語を使いつつ、開催国の貢献も同じように認められるからです。このようなシステムも問題点があると思いますが、国際比較文学の会議よりフェアだと思います。


国際的な近代オリンピック

2012年11月15日

「深夜食堂」

「深夜食堂」という漫画を知っていますか。最近初めて第1話から第3話まで読みました。私はこのような日常的な人間関係に関する話がたいていはあまり好きじゃありませんが、この漫画は面白いところもあると思います。(もし読み続けたら、私の意見が必ず変わると思いますが、今知っていることだけについて書きます。)

私にとって、一番面白いところはレストランの名前です。「深夜食堂」という名前は二つの大事な要素があると思います。まず「食堂」という言葉を見ましょう。このレストランはどうして「~屋」か「~点」と呼ばれていないかというと、名前はお客から来たからだと思います。というのは、「食堂」という言葉はコミュニティーの感じを持っているので、この名は人間(関係)の大切さを強調するからです。このメニューさえないレストランでは、食べ物より仲間と会話の方が大切なようです。

次の大切な要素は「深夜」という言葉です。深夜食堂は夜にしか開店しませんから、普通のレストランと違うものだという点がすぐ分かります。それで、特別な所ならば特別な出来事が起こる可能性があります。その上、深夜は人が少し弱くなって本当の顔を見せる可能性がある時間だと思います。そのような時間には他の人と深い関係を持てるようになります。こんな特徴はこの食堂(つまりこの話)にとっていいんじゃないかと思います。この理由で、「深夜食堂」はとてもふさわしい名前だと思います。

この話はどうなるか全然分かりませんから、私の考えは正しいかどうかも分かりません。でも、「深夜食堂」というものはとても面白そうだと思います。

深夜でも人がたくさんいます。

2012年11月10日

翻案について

翻案の目的は何ですか。この質問について考える前に、まずは翻案と翻訳について定義したいと思います。翻訳というのは(直訳でも意訳でも)原作を外国語で書き直すことですが、翻案というのは言語だけではなく構造も文化的な言及も変えることです。翻訳も翻案も基本的な目的は原作を読めない読者のために分かりやすくすることなので、両方はいいと思いました。

でも、最近は、授業のために「菜の花や月は東に日は西に」という俳句とクレア・マリイさんの英語の翻案を読みました。そうすると、翻案の実践的な目的は何かと思い始めました。

この場合では、俳句の言語やイメージにあまり慣れていない私にとって、英語の翻案の方が分かりやすいと思いました。短過ぎる元の俳句の表したい感じが絶対分からなかったからです。(それは私だけのせいだと思いますが…。)でも、翻案の感じと原作の感じは本当に同じですか。イメージは同じですか。

 
 (「Rapeseed flowers」と「菜の花」-同じですか。違えば、大事ですか。)

どうしてこの質問を聞きたいかというと、翻案者はその俳句を自分で解釈して書き直したという点はとても大切だと思うからです。もちろん、翻訳者もこのような過程をしなければならなりません。けれども、構造と言語を守らないマリイさんのような翻案は原作と同じテーマについて書かれた独自の詩になっているんじゃないかと思います。でも、違う詩になったら、翻案の目的は一体何ですか。

翻案も役に立つと思いますが、たいていは翻訳の方がいいと思います。

2012年10月20日

直訳対意訳

作品を翻訳する際に、何が一番大切なことですか。原文の言葉を守ること(直訳)と訳文を洗練すること(意訳)と、どちらの方がいいですか。確かに、両方が出来れば一番理想的な結果ですね。でも、二つの言語の間で言語構造が違えば違うほど、そして、文化的な言及があればあるほど、自然に翻訳しにくくなります。ですから、直訳と意訳をどう折り合いを付けた方がいいでしょうか。

私の意見では、直訳を中心にしながら、不自然な翻訳になったら意訳をした方がいいと思います。つまり、同じ意味を持っている言葉を使うことに努力しながら、イディオムか口語的な表現が分かりにくくなるほど不自然になったら、訳文の言語で近い表現を探した方がいいです。でも、文化的な言及だったら、そのままにした方がいいと思います。

どうしてかというと、翻訳された作品は原作の筆者の文化への窓だからです。この窓を通して、読者は異文化のこと(例えば、習慣や常識など)を学べます。でも、分かりやすくするように翻訳者が文化的な言及を消したら、せっかくの習う契機も消えてしまうと思います。ですから、意訳しながら微妙に説明したり脚注を使ったりした方がいいんじゃないかと思います。

でも、それは私の考え方だけです。一つだけの正しい翻訳方法がないと思います。一番大切なのは直訳と意訳について考えながら翻訳することだと思います。両方はそれぞれの利用があるので、翻訳したいと思ったら、是非自分の好きな方法を選んで、他のを忘れないで下さい。

2012年10月18日

星新一の女性と書き方

最近は星新一の1960年代に書かれた「リンゴ」と「なぞの女」*という小説を読みました。面白いテーマがたくさん出てきますが、私にとって、一番面白いところは女性がどのように描かれたかということです。というのは、星の女性は話にとってあまり大切じゃなくて、まるで性格がないようだからです。でも、それは星の書き方か時代のせいかよく分かりません。

私の意見では、星の書き方の方が女性の描かれ方に対して大きい影響があるかもしれないと思います。というのは、この小説は少し科学的に書かれていて、男性もあまり性格がないようだからです。性別を問わず、この二つの小説に個人的な名前がある人物が一人しかありません。(「リンゴ」のマスターとA氏という人物の「名前」はそれぞれの役割に関係があるので、本当の名前じゃないと思います。これは星の意図かどうか分かりませんが、私の意見では、「A氏」という名前は実験に参加している人だという感じがあります。)

けれども、女性より男性の方が個人的な性格を持ちそうです。とくに「リンゴ」の二人の女の人について考えれば、まるで同じ人のように話します。ですから、女性を男性と比べると、このような違いがまだ見えるという理由で、星の小説の女性に関する状況は筆者の書き方だけではなく、時代にも影響されてしまうかもしれないと思います。

とくにスタイルの影響のようなので、星が描く女性は大きなな問題になるほど悪いステレオタイプじゃないと思いますが、読者は無批判に読めば、それは問題だと思います。

*もし読んだことがなかったら、簡単に言えば、「リンゴ」は毎晩りんごの比喩によって女性に関する夢がある男の人が急にけがをするという話です。そして、「なぞの女」では男の人が酒とけがのせいで奥さんを忘れてしまいます。