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2012年12月13日

「手紙」と差別

今週は授業で「手紙」を見ました。刑務所にいるお兄さんが六年間弟さんに手紙を書くという内容の映画を見ると、映画で描かれた犯罪者に対する差別について考え始めました。「手紙」では、直貴という弟さんが何も悪いことをしなくても、お兄さんの罪のせいで様々な差別を経験してしまいます。

この映画の差別の悪さに対して意見を言うのは簡単かもしれませんが、この課題はもちろんそんなに単純じゃないと思います。(でも、「手紙」の作家が差別を単純化したくないと思います。)どうしてかというと、差別は倫理的な反応だからです。犯罪者の家族は犯罪者だというわけじゃありませんが、心理学によると、同じ家族から来て同じ環境に影響された子供は似ている大人になる可能性が高いです。ですから、犯罪者の兄弟と会う時、どのような人かよく分からなかったら、自分を守るためにその兄弟を判断することが分かりやすい反応なんじゃないかと思います。

けれども、そう言っても、差別は差別だと思います。特に、映画で起こったように根拠なしで仕事を辞めさせたり関係を捨てたりするほど誰かを差別することは絶対だめです。信頼が出来ない理由がなかったら、他の人を信頼してみた方がいいと思います。特に、誰かが信頼されたら、いい人になりたくなる可能性が強いと信じます。
判断することは容易で、信頼することは難しいです。でも、難しくても、いい社会を作るために必要だと思います。

2012年12月6日

デスノートと自分の成長

最近デスノートをもう一度見ました。初めて見たのは約五年前の高校生の時でしたから、アニメに対して意見が変わるかもしれないと思いましたが、実は始めて見た時と同じでした。今回も一番面白いテーマは正義という課題だと思いました。

「僕は正義だ」と思っていて神様になりたい月(ライト)という主人公
  実は、私はどうしてこんなに暗い話が大好きかというと、どの課題が出てくることによって、私の価値観が変えられたからです。子供の時、私はと同じで、犯罪者を厳しく判断して、誰かが殺人をしたら(死刑を通して)殺された方がいいという立場でした。でも、このアニメのおかげで、そのような単純で厳しい判断を問題視し始めました。(アニメを見たことがなくても、成長と共に私の考え方がいつか変わったと思いますが、事実はデスノートがその変わりのきっかけだったのです。)誰が人を判断するべきか、正義は何のための正義かという問題などを自分自身に問い始めました。の欲しがっている優しい人のための新世界はいい目標かもしれませんが、犯罪者を殺すのはいい方法だというわけじゃないと思うようになりました。

私の個人的な価値観が授業で何冊も読んだ影響力のありそうな作品よりこのアニメに影響されたということはとても面白いと思います。(それがいいか悪いか分かりませんが…)けれども、デスノートは私に色々な深いテーマについて考えさせてくれたので、すごく気に入りました。

2012年11月15日

「深夜食堂」

「深夜食堂」という漫画を知っていますか。最近初めて第1話から第3話まで読みました。私はこのような日常的な人間関係に関する話がたいていはあまり好きじゃありませんが、この漫画は面白いところもあると思います。(もし読み続けたら、私の意見が必ず変わると思いますが、今知っていることだけについて書きます。)

私にとって、一番面白いところはレストランの名前です。「深夜食堂」という名前は二つの大事な要素があると思います。まず「食堂」という言葉を見ましょう。このレストランはどうして「~屋」か「~点」と呼ばれていないかというと、名前はお客から来たからだと思います。というのは、「食堂」という言葉はコミュニティーの感じを持っているので、この名は人間(関係)の大切さを強調するからです。このメニューさえないレストランでは、食べ物より仲間と会話の方が大切なようです。

次の大切な要素は「深夜」という言葉です。深夜食堂は夜にしか開店しませんから、普通のレストランと違うものだという点がすぐ分かります。それで、特別な所ならば特別な出来事が起こる可能性があります。その上、深夜は人が少し弱くなって本当の顔を見せる可能性がある時間だと思います。そのような時間には他の人と深い関係を持てるようになります。こんな特徴はこの食堂(つまりこの話)にとっていいんじゃないかと思います。この理由で、「深夜食堂」はとてもふさわしい名前だと思います。

この話はどうなるか全然分かりませんから、私の考えは正しいかどうかも分かりません。でも、「深夜食堂」というものはとても面白そうだと思います。

深夜でも人がたくさんいます。

2012年10月18日

星新一の女性と書き方

最近は星新一の1960年代に書かれた「リンゴ」と「なぞの女」*という小説を読みました。面白いテーマがたくさん出てきますが、私にとって、一番面白いところは女性がどのように描かれたかということです。というのは、星の女性は話にとってあまり大切じゃなくて、まるで性格がないようだからです。でも、それは星の書き方か時代のせいかよく分かりません。

私の意見では、星の書き方の方が女性の描かれ方に対して大きい影響があるかもしれないと思います。というのは、この小説は少し科学的に書かれていて、男性もあまり性格がないようだからです。性別を問わず、この二つの小説に個人的な名前がある人物が一人しかありません。(「リンゴ」のマスターとA氏という人物の「名前」はそれぞれの役割に関係があるので、本当の名前じゃないと思います。これは星の意図かどうか分かりませんが、私の意見では、「A氏」という名前は実験に参加している人だという感じがあります。)

けれども、女性より男性の方が個人的な性格を持ちそうです。とくに「リンゴ」の二人の女の人について考えれば、まるで同じ人のように話します。ですから、女性を男性と比べると、このような違いがまだ見えるという理由で、星の小説の女性に関する状況は筆者の書き方だけではなく、時代にも影響されてしまうかもしれないと思います。

とくにスタイルの影響のようなので、星が描く女性は大きなな問題になるほど悪いステレオタイプじゃないと思いますが、読者は無批判に読めば、それは問題だと思います。

*もし読んだことがなかったら、簡単に言えば、「リンゴ」は毎晩りんごの比喩によって女性に関する夢がある男の人が急にけがをするという話です。そして、「なぞの女」では男の人が酒とけがのせいで奥さんを忘れてしまいます。

2012年10月4日

「ポニョ」と環境

私は「崖の上のポニョ」を見る度に、私の顔はこのようになります:


どうしてかというと、色々な理由があります。「ポニョ」は悪い映画だと思うというわけじゃありません。でも、表面的に面白くてかわいい映画だということを認めながら、この映画の問題点も指摘したいです。

このブログでは、「ポニョ」の環境に関するメッセージだけ中心にしたいです。宮崎の他の映画(例:「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」)と同じように、「ポニョ」には環境問題を認める場面があります。ポニョの父親(フジモト)はよく人間が原因の汚染について文句を言って、世界を海に戻したがっています。

 (「人間がいなくなったら、汚染もなくなる!確かに一番論理的な解決法なんだよ!」)

でも、この場面の後、海を守るべきだというメッセージは消えてしまいます。大変な災害が起こったのに、話では、ポニョと宗介の関係の方が大切になります。皆の環境意識の代わりに、二人の愛*のおかげで世界が助けられたのです。

私が聞きたいのは、映画の目的はポニョと宗介の関係だったら、どうしてこの災害が起こるかということです。その上、この映画の本当のメッセージは何ですか。一般的に考えれば、映画は全部深い意味が要るわけじゃありませんが、あったらいいなぁと思います。この映画では宮崎は実際の環境問題を少し含めたので、解決法は何だと思っているか知りたいです。

「ポニョ」は面白いテーマを検討する機会があったのに、その機会を無視したことは本当に残念だと思います。
 
*(ところで、5歳の子供の愛は一体何ですか。)