2013年5月4日

居場所について

中村さんに関するドキュメンタリーを見た時、私にとって一番心に残ったことは(ほとんど)受け入れられるところを探すためにオランダまで行かなければならなかったということでした。日本には自分のアイデンティティについて寛容な家族と友達がいながらも、居場所は日本ではないと中村さんが思っていることは残念だと思います。(もちろん、中村さんは幸せのようだということはいいですが、一般に、周囲の人から寛容してもらわないという経験は残念だという意見です。)

私はアゲハ店のウェブサイトを読んだ時、フレンドリー過ぎると感じて、少し変だと思ってしまいました。でも、その少し後で中村さんの経験を思い出して、私のアゲハ店に対する意見を考え直しました。このバーが何度も「仲間」、「ファミリー」などという言葉を使うことは居場所の雰囲気を作るためではないかと思い始めました。ゲイの人が普通の社会で受け入れられていないのに、この店は同性愛がアイデンティティを表しながら人間関係を築けるところを提供しようとしているようです。具体的な活動が違いますが、プリンストンのLGBT Centerと同じようないい目標を持っていると思います。

誰でも日常生活で出来ることなので、法律のような大規模なことよりも、小規模なことの方が大切だと思います。ですから、周囲の人は異性愛者だという前提を避けたり、同性愛に反対する意見に反対したりすることが出来たら、コミュニティー内、国内でセクシュアル・マイノリティのために居場所のような空間を少しずつ作れるようになると思います。

3 件のコメント:

  1. Shi先生から:
    私はこのグローバル化、多様化が進んでいる社会で、自分と違う人々(それが人種であれ、セクシャリティーであれ、障害であれ)を受け入れられないのは問題だと思います。ですから、レブサックさんが書いているように、我々一人一人ができる小さいことを日常生活のレベルでしたほうがいいと思います。そういう意味ではディズニーランドで普通に同性結婚のセレモニーができたり、アゲハのように「仲間」を作れる場所がどんどんできるといいと思います。生物学的に何かが違うと排他的になるのは仕方がないとしても、今後はどんどん「人間」という一つのまとまりとして認識が進んでいくと思います。私の好きな映画「Independence Day」のように、エイリアンが襲撃(しゅうげき)してきたら、きっと人間が一つになるのは簡単でしょうが。

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  2. Suさんから:
    日常生活でできることを個々人がやってゆくということで、ちょっと思い出したことがあります。

    今年のTime誌の「世界を変えた100人」の中に、インドの超有名映画俳優のAamir Khan氏がいます。彼は昨年、自分の知名度と人気を最大限利用して、インド社会の恥部とも言えるような社会問題に真っ向から取り組む国民的TVエンタテイメント番組を作りました。

    その撮影過程で彼が以下のようなことを言っていました。「今回取りあげた問題は、自分たちの目の前にあったことだよね。昔から目の前にあったのに、見えているのに気づいていないんだ。・・・僕は生まれてこのかた46年間、全く気づいていなかった・・・例えば魚って、水に気づいていないんだよね。水の中から魚を引き揚げると、その時初めて魚は自分にとって水が何であるかを知るんだ。あまりにも当たり前に目の前にあると、逆にそれに気づけないんだね・・・。」

    今日常生活に当たり前にあって、私たちが気づけていないまたは気づこうとしないまたは気づいていても野放しのままの事実に、個々人の多様性があるように思います。それにきちんと気づけたとき、野放しはおかしいと疑問をもつことが当たり前になったとき、人は日常生活での小さな社会改革を当たり前にできるようになるのではないでしょうか。

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  3. Seさんから:
    大規模な改革よりも個人レベルの小規模な行動が大切という意見に強く同感します。そして、Agehaのウェブサイトの分析がとても面白いと思いました。あのように一見「ちゃらい」と見られるようなノリや軽い言葉にしていますが、マイノリティであり、世間から誤解されがちな存在である自分たちを受け入れてもらう、そして同士を募(つの)りやすくするための工夫なのかもしれませんね。日本のオネエタレントが思い浮かびました。私は以前は、彼らはそれを個性としてエンターテインしていると思っていましたが、実は、自分のアイデンティティと世間からの風当たりとで格闘した結果、それを前面に出して「ネタ」にするキャラになるという道にたどりついたのかもしれませんね。その裏には私たちには見えない苦労や大きな悲しみがあったかもしれません。

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