2013年4月28日

同性愛者と他のマイノリティーの違うところ

私は昌志さんのお母さんからの手紙を読んだ時、ゲイの人を他の社会的なマイノリティー(例:人種的なマイノリティー)と比べることはとても面白いと思いました。同 性愛者は特別な立場にあるマイノリティーだとずっと思いましたから、比べることは意味があることだとは考えられませんでした。どうしてかというと、マイノリティーの悩みもゲイの人の悩みも残念だし、それぞれの悩みは違うので、直接比べることは少し無意味だと思うからです。授 業でこの問題について話し合った時、一番違うところはゲイの人はアイデンティティーを隠せることだと言われました。人種の場合と比べると、それは同性愛のメリットに見えるかもしれません。
 
でも、本当にメリットだと言えるのかという疑問を抱きます。確かに、隠れることが出来たら明確な差別を避けられることはいいところですが、私 の意見では、毎日自分のアイデンティティーの大切な部分について必死に黙らなければならないことは苦しいんじゃないかと思います。もちろん、誰 でも(例:ボスなど)人のセクシュアルアイデンティティーを知る必要はありませんが、大切な人に理解してもらえないことは本当に残念です。 隠れなくてもいい社会の方が理想的だと思います。

2013年4月21日

BL作品における「関係性」

「 男の絆」の筆者がボーイズ・ラブについて書くチャプターの後半で、私が一番面白いと思った点は、や おい漫画のフォーカスはあるキャラクターの魅力というより同性愛者のカップルの関係性だということでした。以 前はこれについて考えたことがありませんでしたが、なるほどこの可能性があると思い始めました。筆者が述べた通り、カ バーのイラストはよく二人のキャラクターで、pixivの経験からペアリングのラベルがとても大切だと分かるようになったからです。
 
でも、この関係性は女性が入れない「男の絆」と同じなんでしょうか。どうしてこの質問をしたかを説明するため、下の例を挙げましょう。授 業のためにpixivBL作品を探しながら小説を読んでみた時、読んだ作品はほとんど「私」という語り手の視点から書かれていました。この傾向は偶然かもしれないと思いますが、このテクニックは女性の作家が「 男の絆」に参加する方法ではないかと思いました。そして、この作品の読者は想像を通してあるキャラクターの立場に入れるので、「私」と いう語り手がない漫画にも当てはまるかもしれません。
 
そして、友達というより同性愛者の間のカップルですから、一般的で美化された「男の絆」と違う「関係性」になると思います。答 えられなかった質問がまだ残っているので、教科書の筆者がこの点をもう少し分析したらよかったと思います。

2013年4月7日

単語の必要

この二つの読み物(「 男の絆」5章と「Gay at Princeton)について考えると、面白い課題が出てくると思います。「 Gay at Princeton」という記事では、イ ンタビューされたゲイの人がよく述べたのは、大学生の時、同性愛に関する単語がなかったということでした。そして、当 てはまる言葉がなかったため、プリンストンでゲイのコミュニティーを探すことは無理でした。もちろん、当時も「同性愛者」という言葉がありましたが、現 在と同じようなコノテーションがなかったか、同じように使われていなかったようです。

一方で、「男の絆」の 内容は逆の問題を描きます。この筆者によると、欧米からの性欲学の影響で、「同性愛」と「異性愛」が 区別されたことは同性愛者にとって悪い結果になってしまったそうです。どうしてかというと、「科学的」な理由で同性愛は「変態性欲」で 病気だと思われているようになってしまったからです。以前の「男色」という言葉より「同性愛」は的確でしたが、新しいコノテーションのせいで、同 時にこの言葉は問題になってしまったようです。Gay at Princeton」という記事では、特別な単語は必要だということが見えます。でも、「 男の絆」では、問題点もあることが見えます。ですから、同性愛などの言葉が必要ですが、コミュニティー内で受け入れられて、定 義された単語を出来るだけ使う方が理想なんじゃないかと思います。