2013年4月7日

単語の必要

この二つの読み物(「 男の絆」5章と「Gay at Princeton)について考えると、面白い課題が出てくると思います。「 Gay at Princeton」という記事では、イ ンタビューされたゲイの人がよく述べたのは、大学生の時、同性愛に関する単語がなかったということでした。そして、当 てはまる言葉がなかったため、プリンストンでゲイのコミュニティーを探すことは無理でした。もちろん、当時も「同性愛者」という言葉がありましたが、現 在と同じようなコノテーションがなかったか、同じように使われていなかったようです。

一方で、「男の絆」の 内容は逆の問題を描きます。この筆者によると、欧米からの性欲学の影響で、「同性愛」と「異性愛」が 区別されたことは同性愛者にとって悪い結果になってしまったそうです。どうしてかというと、「科学的」な理由で同性愛は「変態性欲」で 病気だと思われているようになってしまったからです。以前の「男色」という言葉より「同性愛」は的確でしたが、新しいコノテーションのせいで、同 時にこの言葉は問題になってしまったようです。Gay at Princeton」という記事では、特別な単語は必要だということが見えます。でも、「 男の絆」では、問題点もあることが見えます。ですから、同性愛などの言葉が必要ですが、コミュニティー内で受け入れられて、定 義された単語を出来るだけ使う方が理想なんじゃないかと思います。

4 件のコメント:

  1. Seさんから:
    とても面白い意見ですね。たしかに単語の有無に着目してみると、二つの文章は全く正反対な問題を浮き彫りにしていますね。今までに存在しなかった概念を他人同士で共有するには、その概念に単語を付与しないと難しいですが、言葉をあてることによって逆にその概念を他のものと差別化してしまうという効果も出ますね。「男の絆」の中に、同性愛者の人々にとって「同性愛」という考え方は自分たちのアイデンティティとして必要だったという部分がありますが、あまり想像がわきませんでした。今後の読み物で理解を深めていくのが楽しみですね。

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  2. Suさんから:
    興味深い意見ですね。

    今から30年ほど前になりますか、司馬遼太郎が朝日新聞だったかのコラムで、HIVや同性愛についてとりあげていたことを思い出しました。

    その当時、日本では男性の同性愛者をホモ、女性のそれをレズとよび、両刀の人をバイと呼んでいたと思います。でもその後、女性にしても男性にしても同性愛者のことをゲイと呼ぶようになり、バイはあまり聞かなくなったように思います。時代によって、対象は同じでも使われる単語が変わっていくということがあるのですね。

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  3. Shi先生から:
    言葉というのはその時代の社会を移すものなのですね。今回の同性愛に限らず、私たちは常に新しい言葉を生み出し、そこに意味を加えていくのですね。そして、使われなくなった言葉も歴史として人々に語り継がれていくのだと思います。今後、「同性愛」にどのような意味を加えていくのかは私たちにまかされているのだと思います。そのために、こうやって色々読み物を読んだり、話し合ったりして、自分の中の考えを深めていくのは大切だと思います。

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  4. Yaさんから:
    言葉のコノテーションは時代などと変わっていくものですし、新しい言葉も出てきますね。レブサックさんの言葉の足りなさについては賛成ですが、世界的に、同性愛について英語から来ている言葉が非常に多いと思います。日本語では「ゲイ」という言葉が一番よく使われるようですし、比較的に進歩的なフランスでも英語から言葉を借りています。英語でさえ言葉の不足は世界中の同性愛者のまだまだ難しい状況の証明でしょうね。

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