2012年12月13日

「手紙」と差別

今週は授業で「手紙」を見ました。刑務所にいるお兄さんが六年間弟さんに手紙を書くという内容の映画を見ると、映画で描かれた犯罪者に対する差別について考え始めました。「手紙」では、直貴という弟さんが何も悪いことをしなくても、お兄さんの罪のせいで様々な差別を経験してしまいます。

この映画の差別の悪さに対して意見を言うのは簡単かもしれませんが、この課題はもちろんそんなに単純じゃないと思います。(でも、「手紙」の作家が差別を単純化したくないと思います。)どうしてかというと、差別は倫理的な反応だからです。犯罪者の家族は犯罪者だというわけじゃありませんが、心理学によると、同じ家族から来て同じ環境に影響された子供は似ている大人になる可能性が高いです。ですから、犯罪者の兄弟と会う時、どのような人かよく分からなかったら、自分を守るためにその兄弟を判断することが分かりやすい反応なんじゃないかと思います。

けれども、そう言っても、差別は差別だと思います。特に、映画で起こったように根拠なしで仕事を辞めさせたり関係を捨てたりするほど誰かを差別することは絶対だめです。信頼が出来ない理由がなかったら、他の人を信頼してみた方がいいと思います。特に、誰かが信頼されたら、いい人になりたくなる可能性が強いと信じます。
判断することは容易で、信頼することは難しいです。でも、難しくても、いい社会を作るために必要だと思います。

2 件のコメント:

  1. 信頼が難しい時に、殊に必要だと思います。でも、同時に、時々信頼しないほうがいい本能は正しいですね。この二つの間でバランスを見つけなければだめだと思いますが、レブサックさんが言ったように、人と関係を作るのはこの信頼の問題の解決の一部だと思います。

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  2. 「心理学によると、同じ家族から来て同じ環境に影響された子供は似ている大人になる可能性が高いです。」中国の諺で同じ様なものもあります。意味はちょっとネガティブですが、「龍は龍を生む。鳳は鳳を生む。鼠の息子は穴を掘れる」と言われています。だから、出身が低い人々は自分の能力を証明するために他の人より何倍も努力しなければなりません。もし学校で罰をもらったら、きっと「あぁ、やっぱりそうだ。この人の家族の悪い影響だろう。」と言われました。それはアジア社会の現実です。信頼と関係があるかどうかわかりませんが、社会の価値観の問題だろうと思います。

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