2012年11月10日

翻案について

翻案の目的は何ですか。この質問について考える前に、まずは翻案と翻訳について定義したいと思います。翻訳というのは(直訳でも意訳でも)原作を外国語で書き直すことですが、翻案というのは言語だけではなく構造も文化的な言及も変えることです。翻訳も翻案も基本的な目的は原作を読めない読者のために分かりやすくすることなので、両方はいいと思いました。

でも、最近は、授業のために「菜の花や月は東に日は西に」という俳句とクレア・マリイさんの英語の翻案を読みました。そうすると、翻案の実践的な目的は何かと思い始めました。

この場合では、俳句の言語やイメージにあまり慣れていない私にとって、英語の翻案の方が分かりやすいと思いました。短過ぎる元の俳句の表したい感じが絶対分からなかったからです。(それは私だけのせいだと思いますが…。)でも、翻案の感じと原作の感じは本当に同じですか。イメージは同じですか。

 
 (「Rapeseed flowers」と「菜の花」-同じですか。違えば、大事ですか。)

どうしてこの質問を聞きたいかというと、翻案者はその俳句を自分で解釈して書き直したという点はとても大切だと思うからです。もちろん、翻訳者もこのような過程をしなければならなりません。けれども、構造と言語を守らないマリイさんのような翻案は原作と同じテーマについて書かれた独自の詩になっているんじゃないかと思います。でも、違う詩になったら、翻案の目的は一体何ですか。

翻案も役に立つと思いますが、たいていは翻訳の方がいいと思います。

8 件のコメント:

  1. そうですね。翻案は面白いですが、私も翻訳の方がいいと思います。私の個人的な意見は翻案は読者に影響過ぎると思います。例えば、その「菜の花」の俳句は多分特別な文化的な意味がありますが、人々もそれぞれの意見があって、その意見は文化的の意見と似ているはずがないと思います。詩は「正しい」意味がないと思って、翻案はただ一人の意見を見せると思います。

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  2. 「Rapeseed flowers」と「菜の花」の写真の例、わかりやすくてとてもいいです。
    やっぱりどう見ても同じじゃないですね・・・。
    翻訳なら、菜の花は訳されても「菜の花」なのでしょうが、翻案だと「Rapeseed flower」とやらになってしまうのでしょうね。
    そうすると、原作が思いっきりひん曲げられてしまったような感じがします。
    原作者本人が自分で原作を翻案したなら、作品の根底にあるモノは同じかもしれないと思いますが、原作者と翻案者が異なる場合、翻案は原作を元にした全く別の作品ですねえ。

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    1. 私もそう思います。作家が翻案者と一緒に働けたら一番いい効果になると思いますが、残念ながらあまり実践的じゃありません。(特に作家がもう亡くなった場合だったら、協力がもちろん全然出来ません。)でも、一緒に出来れば、同じ作品じゃないですが、もう少しにているし、作家の意図を守られるので、いいと思います。

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  3. 翻案の目的は翻訳と全然違うと思います。原作への理解は色々あります。翻訳する時その曖昧さを表現できるかもしれませんが、翻案を作る時編者はその色々な可能性の中で一つを選んで自分の理解を入らなければならないでしょう。目的は全然違うから、どれがいいかという問題の答えもないと思います。

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  4. lang-8のYuukiさんからのコメント:

    興味深いご意見ですね。
    あまり考えたこと無かったですが、
    私はよく英訳された漫画を読んでいて
    単純な翻訳ではなく、若干意図も変わってると感じることも多々ありますね。
    まぁ、それぞれの言語は形成された過程や構造が違うので、
    全く同じように翻訳することは難しいのでしょうね。

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    1. そうですね。私は今日本語で訳されたハリー・ポッターの本を読んでいて、英語のバージョンを何度も読んだので、読みながら比べられます。大体同じですが、時々なんとなく雰囲気が少し変えられたかと思います。翻訳者になりたい人として、翻訳と翻案の過程は興味深い課題だと思います。

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  5. lang-8のYUKIさんのコメント:

    とても鋭い視点だと思います。私は、あなたの考えに全面的に賛成します。

    俳句の特徴は、余計な言葉を限界まで削っていることです。このことによって、物事の本質を見出すことや、無限のイメージをふくらませることができます。俳句の翻案は、余計な言葉で説明することでもあり、俳句の持つ良さを消すことにもつながるでしょう。「独自の詩になっているんじゃないか」と考えるあなたのセンスは素晴らしいと思いますし、賛成します。

    しかし、俳句の良さというものは、学習しなければ理解できないものです。たとえ日本人であっても、俳句の味わいかたを練習しない限り、俳句の良さは絶対に分かりません。例えば、日本人の子供に「菜の花や月は東に日は西に」の本当の良さは理解できないでしょう。

    それでは、どのように練習すれば良いのでしょう? 翻案した文章や翻案者の解釈を読むことが良い練習方法だと、私は思います。

    まず、翻案を読んで「菜の花や月は東に日は西に」の世界観をイメージできるようになる。その後に、翻訳された英語を読む。そして、日本語のままの俳句を声に出してみる。これが、私のお薦めする練習方法です。

    最後に、日本の「和」の文化について、有名な大学の先生が説明した文章を紹介したいと思います。私は、これを読んで、なるほどと思いました。俳句、茶道、和室、料亭などに通じる、表現しにくい「和」の文化の一面をうまく説明しています。

    『日本人というのは妙なもので、常に過剰なままに洗練を求めます。完成された姿はしばしば、現実とは遠い世界に成ります。しかし、そこに究極の実体があると主張します。絵画も、石庭の美しさもしかり。文学も、多分、音楽も同様だと思います。日本の味の世界にも、そんな構造が存在するのではないかと思います』

    とても長いコメントになってしまってごめんなさい! あなたの俳句(そして日本の文化)への理解につながれば嬉しいです。

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    1. とても長いコメントを書いてくれてありがとうございます。長くても、分かりやすく説明したと思います。翻案の俳句を分かるようになる実践的な機能が思い浮かびませんでした。でも、そのように使えば、翻案が役に立つようになると思います。

      その教師が描いた現象は日本の作品の一番面白いところだと思いますが、外から見る私にとって、時々一番分かりにくいところにもなると思います。でも、興味がありますから、頑張ります。:)

      色々教えてくれてありがとうございます!

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